パニック障害を自力で克服した経験を語る
私は、2013年(当時34歳)にパニック障害だと診断されましたが、薬を服用することなく克服することができました。
この経験を話すことによって、パニック障害に苦しむ友人や知人を改善に導くことができたので、このブログでも語らせて頂きます。
なお、私は医師ではありませんので受け止め方はご自身の判断でお願い致します。
私は、身体の不調を感じた当初にそのことを知らず(まさか、パニック障害なんて思いませんでしたから)内科や脳外科に受診し、「異常なし」、と言われて訳のわからぬ不安を持ちながら1年を過ごす事になりました。
次の項で私の症例、さらに「パニック障害」と診断されるまでの経過を綴ります。
もし、ご自身や身近な方にその疑いがある場合は、一度、心療内科で受診する事をお勧めします。
【目次】
パニック障害について
※診断を受けた私の解釈でお伝えしますので、気になる方はご自身でも調べてみて下さい。
【原因として考えられていること】
脳機能が正常な時、不安や恐怖を感じたら脳の中にいるノルアドレナリン(以下、ノル)が「やべぇの来たぞー!」と仲間達に危険を伝えます。ただノルはちょっとしたことで騒ぐからそんな時はいつもセロトニン(以下、セロ)が「まぁまぁ、落ち着きなよ」って皆を落ち着かします(脳内の話です)。
しかし、様々な原因でセロが活躍できずノルをほったらかしにしてしまいました。すると、ノルが叫ぶ危機情報は瞬く間に広がり身体中は大騒ぎ。危機情報は終末論となってシンゾー(心臓)に伝わります。シンゾーは命を守るために力を振り絞って心拍数をMAX近くにまであげました。
すると脈拍が急激に上がったことで、血液が身体の先々に行き届かなくなってしまいました。
治療としては、長い期間をかけて投薬しつつセロトニン等を補強していくといった方法です。詳しくは、医師にご確認ください。
【具体的な症状(私の場合)】
末端に血が行き届かなくなることで、身体の先の部分、手や足はしびれ、目はホワイトアウト(真っ白で何も見えない)を起こします。脈拍が落ち着くまでの数分から10分ぐらいはその状態が続きます。→いわゆる発作状態。
発作という言葉で片付けられますが
当人にとって
目の前が真っ白で何も見えず
手足がしびれた状態(ひどいと動かない)
尋常でない心拍音
もう「このまま死ぬんだ…」としか感じないんです。
正気の状態に戻っても、変な頭痛や精神的ショックが大きく残り
「あの発作がまた来るかも」という恐怖心や不安感に苛まれます。
そして、日常生活で少しでも身体の調子に異変を感じると、
発作の予兆じゃないか?という不安が常に襲います。
そのストレスで過呼吸を起こしたり、発作に似た状態を引き起こします。
このサイクルのエンドレス状態です。
私が「パニック障害」だと認識するまでの経過
反省として、「精神的には健全だ」、という私自身の思い込みのせいで発覚が遅れました。ここからは私自身の当時の生活環境や症例、さらに診断に至るまで詳しくお話しします。
軽度から重度までの経過をお話ししますので、もし、同じような症状があれば一度受診をお勧めします。
遡ること学生時代の私は、空手道で全国トップクラスの実績を持つ選手でありキャプテンでした。もう、20年近く前ですが当時の時代背景はパワハラなんて言葉はまだ聞かない頃。指導も過激で情熱的、厳しくメンタルやフィジカルの全てを極限まで追い込む “根性論” で育った世代です。その環境で鍛え、さらに良い成績を収めていた私は、自分の “メンタルは弱い” なんて微塵も感じることはありませんでした。
時を経て、社会人になっても
ストレスなんかに負けるような自分ではない
逆境は大いに歓迎、ピンチはチャンスでしかない
というスタンスでアグレッシブに過ごしていました。
発作が起こる1年前の2011年3月1日、当時の私は関東の会社に勤めており、そこで昇進し、いわゆる中間管理職に就きます。
その10日後に東日本大震災が起こります。
数日後、福島第一原子力発電所の事故が発生。
食品を扱う会社でしたので放射能対策に駆け回る日々。
さらに家に帰れば当時の長男は1歳半で当然家族の安全の確保にも色々と気を遣う日々でした。
仕事も私生活も精神的な負担は結構あったと思います。
でも、
「俺なら大丈夫」
自分を信じて日々を過ごしていました。
まだ身体に異変は起きることもなく1年が過ぎます。
症例①
翌年の2012年 春、
仕事では、ようやく震災の影響も落ち着き始め、穏やかに過ごせる時間も増えていきました。
そんな時、ある取引先との懇親会の最中にトイレに行って用を足してると、
段々と目の前に白いモヤがかかり、
それがどんどん大きくなり、
視界の真ん中以外が真っ白に…
その時の私の意識は、取引先の方々が10数名、私の部下も4~5人参加していた大きめの懇親会だったので、
「早くなんとかして戻らないと」
という思いが先行していました。
トイレで視界が戻るまでの間、空手式に呼吸を整えたらある程度見えるようになったので、しばらくして戻りました。(ここでは手足のしびれは軽微なのもでした)
※ただ、この症状は飲み屋あるあるで、アルコールを摂取すると血管が広がり、放尿する事で血圧が急激に下がっておこる貧血みたいな状態ともいえるようです。ただし、私はお酒が苦手なのでほとんど飲んでいませんでした。
それからの生活では、少し疲れているのだろう…と、できるだけ無理をしないように注意していたこともあり、しばらくは何も異常は起きませんでした。
症例②
3~4ヶ月後、
出張先から飛行機で戻ったその足で友人と待ち合わせをし、飲みに行きました。
楽しいひと時を終え、電車に乗って帰路に。
電車の座席は大抵埋まっていましたが、比較的に遅い時間だったので立っている人はまばら。私は座らずに吊革につかまっていました。
すると、
どんどんどんどん…
と心臓が背骨にまで響くような勢いで動き出しました。
さらに目の前にまた白いモヤがかかり始め
今度のそれは瞬く間に視界全体に広がり
ついに、視界は完全に真っ白、全く何も見えなくなりました。
(手足の痺れは軽度なものでした)
「これはやばい…」
さすがに動揺しましたが、まだ「俺なら大丈夫」と言い聞かせて、空手式の呼吸法をすることだけに集中し、自分の動揺を消すことに専念しました。
※空手で殴られて脳震盪に近いダメージを受けた時など、呼吸の仕方である程度復活できる術を心得ていたからできることです。普通はすんなりしゃがむなりして下さい。
しかし、しばらくしても視界はまだ薄っすらとまわりが見える程度。
「これ以上は無理かも…」
そう思い、その場にうずくまろうとした時、扉付近に先に倒れて寝ている酔っ払いが!
「俺、あの人と一緒にされんのん嫌や…」
そう思い吊革2本に片腕を通し、ぶら下がるように自分の身体を支えました。
※ただの意地っ張りですね。普通はすんなりしゃがむなりして下さい。
最寄り駅までは数分で着き、うなだれるように降りて駅のベンチに座りました。
「これは異常だよな…」
次の日、とにかく “脳の異常” ではないかと思い脳外科に行きました。
しかし、MRIで撮っても脳には全く異常がないとのこと。
いや、あれは確かに異常だと、別の日に内科へ、しかし異常なしとの診断。
当時の私には、それ以外でどこで診てもらえばよいのか、という知識もなかったために病院へ行くことはあきらめてしまいました。
また疲れているのだろう…と、無理をしないように気を付けるしかありませんでした。
完全に見えなくなったショックは大きく、真剣に自分の体調管理に気をつけて日々を過ごしました。食事、睡眠、調子のよい時だけ適度な運動など、その時点で考えられることは取り組むようにしました。
その効果もあってか、半年近くは何も起こりませんでした。
症例③
私は地域のスポーツ施設の温水プールをたまに利用していました。
あれから半年後のその日は、少し身体が重く感じていたのですが、少しだけ身体を動かしてスッキリしようとスポーツ施設に行きました。
身体を伸ばすようなイメージでゆったりと泳ぎ、30分程して上がろうとした時、また目の前に白いモヤがかかり始めたのでした。
「あ、やばいやつだ」
逃げるように個室のシャワールームに入った途端、
どんどんどんどん… と例の動悸
すぐさま視界は完全に真っ白
今回は手足が激しく痺れ、考える間もなく雪崩れるようにうずくまる
全く身動きができず、声も出せない…
「呼吸を整えよう」
そう思っても動悸が激しすぎて息が整わない。(過呼吸気味)
個室のシャワールームの中で声も出せず動けない。
自分の意思で何一つ動かすことができない。
「こんなところで死ぬのか…」
とふと頭をよぎる。
落ち着くまでの数分、それはとっても長い時間のように思えた。
次第に少しずつ呼吸はおさまり、視界も段々見えるように。
しかし、動けるようになっても頭が痛く、もどしそうなほど気分も悪い。
かなりの時間をかけて自宅に戻りました。
私にとって、十分に体調管理をしていたつもりだったので今回の発作のショックは尋常ではありませんでした。
「なぜなんだ、なんで注意してたのに」
どうしていいかもわからず、話ができる友人に片っ端から連絡をとりました。
そして、その中の一人に
「それ、パニック障害じゃない?」
と言われ、心療内科へ行くことを勧められました。
心療内科での受診
ネットで「パニック障害」を調べ、近所で診てもらえそうな医院を探しました。
しかしまだどこかで、「俺は超メンタル強いのに」と思っている自分もいました。
そして診察、
私が行った医院では始めに結構なボリュームのアンケートを書かされました。
いわゆる性格診断に近いような質問だったと思います。
さらに、医師のカウンセリングを受け、全体で2時間程かかる診察でした。
結果、医師より「パニック障害」であると診断されました。
医師が言うには、
・メンタル面が原因ではなく、脳機能の不具合による障害であること
・人によって発作の引き金が違う
※私の場合は、お酒や無理に無理を重ねる行動が引き金とのことでした。
・投薬により治る。3年近くは薬を飲み続けなければならい。
・副作用がある。食欲不振や性欲減退。
(以上は、2013年時点での見解です。今は違った対処法があるかもしれません。)
病名がはっきりして少しホッとしましたが、やっかいな病気になったもんだと落ち込みました。
投薬治療を始めるかどうかの返事は後日にするとお伝えし、その日は帰宅しました。
投薬治療をしないという決断
どうしても気になったのが、副作用の食欲不振と性欲減退の2点。
ここまで語ってきたからには恥ずかしいですが惜しみなくお話しします。
私の人生においての楽しみは、
・色んな美味しいものをたくさん食べること
・愛しい人と愛情深いSEXをすること
が最も重要でした。
散々悩んだ結果、
この自分の人生の楽しみを捨てるならば死んだ方がマシだ!
と腹をくくり、投薬治療を拒否することにしました。
自力での克服
前提として、私は病気という存在自体、何かの信号だとしか思っていません。
考え方、行動、自分の許容量、食べているものなど、それらの質やバランスの何かが崩れているという証。
それらを見つめ直すきっかけが病気となって表れるだけだと思っています。
とはいえ発作の不安を常に抱え、活気のない生活がしばらく続きます。
常に身体には異変があるように思え、その不安から過呼吸を起こします。
1ヶ月経っても状況は変わらず、2ヶ月経っても悲しいほど変わりません。
ただ、出来る限り自分を見つめ直す時間にしようという意思を僅かに持ちながら、普段の行動から自分の姿勢など見直し、それまで苦手だった誰かに頼る、といったことも始めだしていました。
様々な葛藤のなかで、自分を変えるための行動を繰り返し、遂に私なりにこの病気になった理由を掴むことができたのです。
以下は、同様の障害を持った友人や知人に伝えている内容です。
若かった頃の自分の習慣から抜け出し、大人になった自分の習慣に切り替える
「このままじゃいけない、早く前の元気な自分に戻らなければいけない」
これが自分を焦らせる考えだと気付きました。
まず、この考えを排除しよう。
過去の自分への執着を解き放ち、これからの自分に無理のない生き方へとリニューアルしよう。
そう考えられたことが克服への第一歩となりました。
私のように過去に実績があったり、活躍した経験がある人ほど過去の自分と比べてしまう傾向にあるようです。実際、私が尊敬していた当時の天才空手家は現在うつ病で社会復帰が困難な状態に陥っています。また、世界トップクラスになった実績のある私の後輩も再会した時はパニック障害になっていました(現在は完治)。
過去の自分は若くて体力があった、エネルギーがあるからこそ情熱も無理せず自然に湧き上がっていたのです。その頃に比べれば年も取ったし当然エネルギーも穏やかになっています。そんな自分が過去のように動けるわけがないんです。行動も思考も。
自分の衰えを認めつつも過去の自分には無かった経験や知識という新たなアイテムを備えて大人になっています。当時ほどアグレッシブに動けなくなった代わりに、それらのアイテムを使って考えて行動できるように成長しています。
そう変わっているんだ、ということを認めるのです。
決して、
以前の元気な自分に戻る必要はない。
それよりも、
穏やかに行動を選択できる新しい自分になればいい。
私は当時、妻のお腹には2人目が宿っており、会社での責任ももちろんありましたから焦る気持ちは十分にわかりますし、全力で焦っていました。
しかし、焦っている内容が現実的ではない、と気付けたのです。
いつまでも過去に執着しているだけでした。良かった頃の自分に戻らなければ、と。
「そっか、今の自分に無理のないペースで予定を立てていこう」
「なんにもしない時間も大切にしよう」
私はそこから始めました。
すると、少しずつ気持ちが穏やかになり、日常でもそれまでは気にならなかった景色や空を見れる余裕も生まれ、自分自身の視野が広がっていく、そんな生活が徐々に楽しくなってきました。
もう、大丈夫かもしれない。
私は、発作への恐怖心も薄れていました。
それは診断結果を受けてから4ヶ月近く経ったころです。
しかし、回復に向かう私に更なる試練が訪れます。
急に実家の母親から電話。
母「お父さんが倒れて危篤状態に…」
私「え?…」
え…
父は私の空手の師匠でもあります。
私の生き方に多くの影響を与えてくれた人でした。
この上ない程のショックを受けましたが、その時点で私はもう生まれ変わっていました。
すぐさま実家に戻り、父の様子、そして母の様子を伺いました。
「いまの自分には何ができるか、今の自分で続けられる世話や支援はどんなことか」
冷静でした。
若かりし自分ならできないほど穏やかな思考が働いていました。
もう、目の前が白くなることもありませんでした。
最後に
過去の自分に戻そうとするのではなく、今の自分の力量をきちんと把握する。できないことも認める。
今後さらに歳を重ねていくことも見据え、今まで培ってきた経験や知識を活かした新たな自分で行動するよう暮らしぶりをリニューアルしていく。
何より新しい自分をつくる楽しさを味わうことです。
これが、改善の大きなポイントです。
これまで相談を受けてきた方には、きっちり薬を服用されている方もいました。
その方には、投薬はすぐにやめず、できるところから自分のリニューアルを始め、そして徐々に薬を減らすように勧めてきました。その方は、今では薬を飲んでいません。
決して私は薬を否定していません。
うまく付き合えばとても良いパートナーになると思います。
ただ、薬に依存しすぎる姿勢はストレスを生みます。
薬でなきゃ治らない、と思いすぎるのは逆効果です。
パニック障害は、確かに脳の障害であると思います。
“脳” と言われたらとってもややこしく感じてしまいます。
でも薬でしか治せない事はありません。
指を切っても傷口は塞がるように、人間には自然に治す力を持ち合わせています。
今回、私がこの事を書こうと思ったのは、パニック障害やうつ病になる方の多くは頑張り屋さんが多いからです。それもただの頑張り屋さんではありません。
とても真似できないような発想や行動ができる優れた方々です。
優秀な方々が能力を発揮できずにいることは、この地球にとっての災難です。
何とか力になれれば、という思いで微力ながら綴らせて頂きました。
文中では失礼な言葉や知識不足で至らないところがあったと思います。
深くお詫び申し上げます。
どうか、じっくりと
自分が生まれ変わることを味わって暮らして下さい。
補足
家族や身近にパニック障害やうつ病の患者さんがいらっしゃる方へ
ご存知の方も多いと思いますが、出来るだけ言わないほうが良い言葉があります。
それは、
「頑張ってね」、とか
「早くよくなってね」、とか
こういった早く治ることを求める言葉は、過度にプレッシャーを与える場合がありますのでご注意ください。
「今まで頑張ったんだからゆっくりしてね」
みたいに今の時間を肯定的に捉えられるような言葉のほうが良いと思います。
最後までお読み下さり、ありがとうございました。